難波田城資料館見学記

 富士見市にあるこの資料館は難波田城址にある。城址へは発掘現地説明会を含めて何度か行っているが、見学記は初めてである。タイトルは『難波田氏とその時代』で、開館20周年記念の展示である。タイトルからは中世の難波田氏が主と思ったが、展示は大きく中世と近代以降に分かれていた。まず、難波田氏の発祥からである。伝承では十二世紀から十三世紀に活躍した村山党の金子小太郎高範から始まる。歴史に多く出てくるのは難波田城を築いた十五世紀後半からである。城址から出土した板碑、宋銭、鎧通しなどが並ぶ。松山城歌合戦で知られる難波田弾正が著名であるが、真偽のほどは分からない。また、扇谷上杉氏の配下の松山城主、後北条氏配下の松山城将として名が出てくるが、詳細は不明である。松山城址出土の遺物も鉄砲玉等が展示されている。近世以降になると歴史がはっきりする。3家が旗本となった。番方の中でも大番筋の家柄であり、多くが大番を勤め、新番、小姓組もいた。3家と憲の字を諱としているのが特徴である。この3家以外にも大名の家臣になったものもいた(加賀前田家八家本多家の臣)。明治以降現在もそれらの子孫が活躍している。難波田はナンバタとナニワダの2通りの読みがあり、後者の方は分家筋であろう。名前に憲の字を使っている子孫もいる。常設展示室にも同様の展示品があるので、連動させた方がよかった。刊行物は図録が出ている。

 

 

現在、難波田城址はその30パーセントが難波田城公園となっている。公園は城跡ゾーン、古民家ゾーン、資料館で構成されている。城址は残念ながら遺構というよりも作り物の感じがする。単なる公園でしかないのが惜しまれる。資料館は富士見市の中世以降を紹介する常設展示室がある。特別展示室はどちらかというとロビーの拡大空間のようである。交通の便は東武鉄道東上線志木駅からバスが出ている。

2021年3月13日から6月13日まで開催

2021年4月11日見学

2021年4月18日記