小山市立博物館見学記3

 今回は『小山藩主 本多正純』というタイトルである。小山藩・祇園城廃城400年記念と銘打っているが、廃城記念とは少し変な感じがする。本多正純は改易され、祇園城(小山城)は廃されたので、史資料は多くは残っていない。計41点で構成されている。正純の父である本多正信像(肖像画)や関ヶ原の戦い、大坂の陣での活躍が真田信幸宛徳川家康書状、本多政重宛本多正純書状などの文書、大坂冬御陣之図、大坂城古図などの絵図からうかがえる。正純は慶長十三年頃(1608)小山三万五千石、そして元和五年(1619)には宇都宮十五万五千石を与えられた。次に正純の二人の弟のことを取り上げている。三男忠純は榎本一万石に封じられたが(後に二万八千石)、後継者が改易となったので関係する遺品などはあまり残っていない(子孫は旗本となる)。今回は文書が1点のみ出ている。その点、次男の政重は加賀八家の一人となり、陪臣ながら五万石を知行し子孫は幕末まで続いた。加賀本多博物館からいくつか出品されている。最後は正純改易であり、元和八年(1622)に嫡男正勝と共に秋田藩主佐竹義宜の領地である横手に配流となった。江戸幕府内の権力争いの結果といわれる。寛永十四年(1637)に亡くなったが、子孫は後に旗本となっている。菩提寺や子孫の家に残されている短刀や茶杓などが出品されている。本来なら最後の領地である宇都宮市で行う展示であるが、唯一の小山藩主として小山市で開かれたことに意義があるように思う。刊行物は図録と展示資料一覧がある。

2019年10月26日から12月1日まで開催

2019年11月24日見学

2019年12月3日記