豊川市の次は刈谷市である。タイトルは『深溝松平家』、サブタイトルは「家忠・忠利・忠房と刈谷」である。チラシを見た時に十四松平に一つである深溝松平家と刈谷とは何の関係があるのかなと思ったが、六代忠房が約十七年間刈谷藩主であったことによる展示である。最初に忠房以前の深溝松平家のことを紹介している。四代家忠、五代忠利が中心となる。何といっても慶長五年(1600)の伏見城での討ち死にと家忠日記が思いうかぶ。家忠日記の原本、伏見城攻図、徳川家康御内書などが出ている。次に今回の展示のメインとなる忠房のことである。三万石で刈谷藩主となり、その後福知山を経て六万九千五百石の島原藩主となった。刈谷時代では苅谷領知行目録、三州苅谷領之図、そして新出資料の刈谷城図である某城之図などが出たいる。その後の福知山藩時代、島原藩時代の品々も展示されている。島原藩は深溝松平家が代々続き十八代忠和の時に版籍奉還をした。菩提寺は本光寺が深溝(幸田町)と島原にあり、歴代の墓は深溝の方に残っている。序章と終章に両寺の所蔵品が出ている。刈谷藩は幕末まで土井家が長かったがそれ以前は随分と藩主が変わっており、深溝松平家は市民でもあまり知られていないように感じた。刊行物は図録と展示作品リストがある。
2022年10月8日から11月20日まで開催
2022年10月29日見学
2022年11月8日記