群馬県立歴史博物館見学記2

今回のメインの見学先で、タイトルは『織田信長と上野国』である。天正十年(1582)武田勝頼を滅ぼした信長は上野を支配下に置き、家臣の滝川一益が厩橋城を拠点として統治した。しかし、三ヶ月後に本能寺の変で信長が倒れると、北条氏との間に神流川合戦が行われ一益は敗退した。展示は大きく三章に分かれ、第一章は信長、第二章は一益、そして第三章は信長の次男の信雄から続く小幡織田氏のことになる。展示替えを含めて110種を数える。信長関連では肖像画や長篠合戦時の落合佐平次道次背旗などが目玉であろう。信長と勝頼の文書が並んであったりまたここでも上杉家文書が出ていたり、古文書もバラエティーに富んでいる。一益関連では箕輪城址、厩橋城址からの出土遺物の他に、一益発給の文書が多数出ており見応えがある。家忠日記も出品されている。小幡関連では陣屋の庭園である楽山園出土遺物の他に信雄からの文書も多くある。最後に八木家文書が一括で出ており、信長、豊臣秀吉、本願寺教如の名も見つけることが出来る。

県立らしく山形県から京都府まで幅広く集めている。有名な品も多く、一益、信雄の文書がまとまって見れるのは貴重である。ただ、信長は一度も上野に入っていないので本来なら滝川一益と上野国というタイトルが相応しいのだが、一益自体がマイナーな存在なので仕方ないことであろう。これからは一益、神流川合戦が県民にも知れ渡ることを願っている(古戦場碑の近くに駐車スペースがないのは困る)。大きく広い展示室を余裕をもって使っており見やすくなっている。刊行物は図録と出品目録がある。図録は論考も多く載っており参考になる。一益の受発給文書集成もついている。なお、図録と出品目録との番号が一致しないのは困る。展示室でも番号がふってなく不便であった。

常設展示室内の一部屋を使って『明智光秀の源流』が開かれている。サブタイトルは「沼田藩土岐家の中世文書」であり、土岐明智氏、土岐石谷氏を中心に38点の文書、3点の史料、1点の陶器で構成されている(展示替えを含む)。文書の年代は承久二年(1220)から天正2(1574)までであり光秀に直接関係するものはないが、北条義時、足利尊氏などのメジャーな名も見られる。これだけまとまった文書群は見応えがある。これだけで十分一つの企画展になり得る。やはり県立だけのことはある。刊行物には出品目録、読み下し、パンフレット(ist 5)がある。

<h3>2018年3月17日から5月13日まで開催</h3>

見学日
2018年5月5日
2018年5月13日